【2022年4月】あまり知られていないようですが、ブルガリア第二の都市、プロヴディフはヨーロッパの中でも歴史的に重要な町の一つだったらしいです。
有名なアレキサンダー大王のお父さんのフィリッポス2世が征服して発展した町であるため、別名をフィリッポポリスといいます。
私達は、その名も「フィリッポポリス」レストランで満足の行く食事をした後、まずはレストランからほど近いローマ時代の円形競技場跡を見に行きました。
行ってみて分かったのですが、この遺跡は歩行者専用道路、Knyaz Aleksandar I 通りの下に見え隠れしているのです。
つまり、遺跡の上を道や建物が覆っているといった形。
かなり巨大な競技場だったらしく、通りをかなり歩いた先にも、遺跡の一部が顔を出していました。
紀元2世紀のハドリアヌス帝の時代にできたものだそうで、3万人の観客を収容できたといいます。
遺跡には簡単に下りていけるようになっていて、子供の遊び場になっていました。
ここの子供たちは幼いころから、ローマ時代の遺跡に馴染んで育っていくわけですねー。
Knyaz Aleksandar I 通りの突き当りには中央広場があり、その一角には、ローマ時代の劇場跡オデオンもあります。
これも放置されているように見える遺跡ですが、やはり紀元2世紀のものだそうです。
私達は、中央広場まで歩いて、引き返しました。
このKnyaz Aleksandar I 通りは、明るい歩行者天国。
雲一つない晴天の下、平日の午後でしたが、たくさんの人々が行き来していました。
その平和な様子が、数年前に行ったセルビアのノヴィ・サドの目抜き通りに似ていました。
この通りから旧市街へ上る坂に入る所に、Dzhumaya モスクがあります。
モスクのあるこの光景を見て、「ここはその昔、物売りからネックレスを買ったところだ」と思い出した次第。
実は、私がプロヴディフに来るのは二度目なのです。
一度目は2008年、ツアーに参加した時。
トラキア人の遺跡を巡るのが目的のちょっと奇妙なツアーで、こんな重要な町であるプロヴディフではわずかな自由時間があっただけだったのです。
ガイドブックによると、このDzhumaya モスクは、15世紀からの歴史があるそうで、バルカン半島で最も古いものの一つだとか。
今でも使われていて、私達が脇を通った時に、中から「わ~~ん」という祈りの声が聞こえました。
旧市街の坂を上り、レストラン「フィリッポポリス」辺りまで戻ってきたときには、夕焼けが真っ盛り。
美しい光景にうっとりしました。
話は前後しますが、「フィリッポポリス」の上の階はギャラリーになっています。
食べ終わって階段を上ったところで、ここのオーナー夫人に出会い、「是非、見て行きなさい」と言われたので、お金を払って見てみました。
ガイドブックには「ブルガリア初のプライベート・アート・ギャラリー」と紹介してあります。
1865年に建てられた家屋を修復してギャラリーにしたもので、19~20世紀のブルガリアの画家たちの絵が所狭しと掲げられていました。
テーブルもありましたから、特別の機会には、絵を見ながら食事もできるようです。
1階の部屋では、現代の画家による作品の展示販売をしていました。
この近所に「アカデミー・オブ・アート」と看板のある建物がありましたから、生徒の作品なのかもしれません。